# 002 RMS Titanic2016-12-01


RMS Titanic の遭難については、
James Cameron の映画が有名だと思います。
この素材は、ちょうど、
西洋の「忠臣蔵」のようなところがあり、
ストリー自体は有名で、ご存じの通り、
さまざまな人の手になる
いくつもの種類の作品があります。


James Cameron の 映画"Titanic"は、
<正確さ>や<客観性>をベースにした優れた作品で、
RMS Titanic 自体の建造費よりも高額になってしまったという
その制作費に決して恥じることのない秀作だと思います。

興業成績のために挿入された
「Jack と Rose の架空の色事」のエピソードのせいで、
この映画のことをただの「ラブ・ロマンス」だという偏見から、
見向きもしなかったという人たちは少なくありません。

けれども、少し力を入れて、何度か鑑賞しますと、
この映画の主人公は、
やはり、海に沈んでいった船とその乗客・乗員たちであることを
痛感します。



<史実に忠実であること>と、
<架空のエピソードを挿入すること>は、
一見、矛盾が発生して、
映画の自然さに対して逆効果を与えるように思ってしまいますが、
<史実としての記録が手に入らない些細なこと>ひとつひとつについても、
この映画では、
「好意的な人間観」や「他人への敬意」に満ちた空想によって、
補充されているように感じます。

例えば、有名な実在の人物であるマーガレット・ブラウンと、
架空のキャラクタであるジャックの関わりについてです。

話に伝わる通り、彼女が "New Money" などと呼ばれて、
社交界では<肩身の狭い思い>をしていたとすれば、
その分、なおさら、息子の服を三等船室のジャックに
貸してやるというような<優しさ>と<思いやり>をも持ち得たはずだ.....
と作者は「想像」し、
それを映画のかなのひとつの出来事にしていますが、
それは実在した人物に対する
「好意的な人間観」や「他人への敬意」から
来ものだと思います。
好意や良心や誠実さからわき出る想像だと思います。




船とともに沈んだ設計者のトマス・アンドリュースについては、
ある生存者が沈没中に暖炉付近で彼の姿を見かけた..... というところまでが、
史実なのですが、
映画のなかでは、船の設計について後悔するかのように
思い詰めている彼が、すでに大きく傾いた船内の暖炉の上の
時計を反対に回しているシーンがあります。

これも、やはり正常で誠意に満ちた、
アンドリュースの罪悪感や後悔や悲しみが見事に想像され、
そして描かれているのだと感じます。


RMS Titanic の設計については、
氷山との衝突については、
ほぼ正面衝突のような形で
船の一区画だけに大きな穴が開くような状況だけが
想定されていたとされます。
ですから、映画のなかにも出てくるように、
浸水した少数の区画だけを防水扉で
遮断sにて沈没を避けるような発想だったのでしょう。

ところが、都合1平方メートルにも満たない亀裂は、
面積的には小さいながら、長いものになり、
半分以上の区画からの浸水を
可能にしてしまい
沈没の原因とされています。


救命ボートの数の件同様に
おそらく、アンドリュースは、
自らの設計の責任を感じていたことでしょう。

彼が個人的な自分の人生の終わりではなく、
船そのものやその乗客に思いを寄せている様子は、
映画のなかからありありと伝わってくるように思います。

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人気や興業成績のために挿入されたと思われる
Jack と Rose の
<色事>のフィルターを取り除いてみると、
この映画が、ある意味、
「職務意識」についての映画だということが
伝わってくるように思います。

しばしば指摘されるように
当時の客船自体が、
ちょうど社会の階層を象徴する縮図のようです。

そして、ブリッジの航海士のように物理的にも上で働く人々と
ボイラー室のように下に働く人々たちによって
船が通常の運行をしているのは、
社会がごく正常に動いているときを示しているかのようです。
"twenty-one knot" の場面は、
そんな幸福な社会を示しているのでしょう。



そして、災害が起きて、状況が変化しても、
人に関わり、ものに関わり、
彼らがそれぞれの持ち場を守る姿が
コントラストのように描かれています。

この映画は、ある意味、
「死」を題材や示唆に使いつつ、
「生」を歌い上げた映画だとも言えます。

もともとは、映画の色事の素材として登場した Rose についても、
最後の方の場面で、
年老いた彼女のベッド脇に
彼女の生涯のポートレートが何枚か写り、
彼女が、
船の生存者として、その後、「生きたこと」が
示されています。

相手の Jack は、
そんな彼女の「生きる力」の象徴かもしれません。


そこには、色事の相手の<小汚さ>や<えげつなさ>を超越した、
なにかしら、ひとりの他人という人間以上のものが
示されているかのようです。


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もっとも、色事を素材のひとつに使ったこの映画を見て、
色事に関する<欲どおしさ>のようなものを
煽られる人もあるかもしれません。

けれど、
それは、例えば、
精神的に不衛生な姦淫の相手同士で
お互いに「ソウル・メイト」などと自己申告し合っているような、
ある世代独特の限定的で低いレベルの人たちに限られることでしょう。

色事のエピソードを据えてはいますが、
映画"Titanic" のスピリットというのは、
ある意味「盗人たけだけし」のような
不潔な男女の心がけとはまったく無関係の、
いいえ、むしろ、まったく正反対のものだろうと思います。


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# 001 PC2016-11-30



「パソコンが得意な人」とは、
1980年代には、
Basic 等のコンピュータ言語で
プログラミングが出来る人を想像したように思う。

やがて、
既製品のアプリケーションが増えてきて、
それが一般的になってくると、
自分でプログラムを書くのは、
ほぼソフトハウス等の業者になり、
今度は、MS-DOS の config.sys や、autoexec.bat、
あるいは、MS-DOS からの
Windows 3.0 や 3.1 の起動ファイルが
分かる人が「パソコンが得意な人」になったのだと思う。

そして、
今世紀になると、
様々なアプリケーションの使い方になれている人が
「パソコンが得意な人」という感じだろうか。

一方、PCに関して「趣味」という言い方をすると、
たいていは、それが得意なことを指すだろうが、
「下手の横好き」の場合もあろうと思う。

けれど、パソコンが趣味と自覚している人は、
おおむね、何台もパソコンを持っている。

このあたり、クルマや楽器等の
「道具趣味」と共通だ。

そして、同様に、
それぞれ傾向があるようだ。

高性能・最新寄りの人たちもあれば、
私のように主に中古のノートPC好きのような人もある。

特に中古の市場は、
今世紀になって、
最新商品の価値が以前ほどでもなくなると、
ますます充実してきたように思う。

一般のユーザにとっては、
いろいろな意味で、
前世紀いっぱいくらいで、
PCはひとつの完成の域に達したとも言える。

ウィンドウズのGUI、
あるいは、フリーズしにくい、いわゆるNT系、
そういったものは、
今世紀を迎えると同時に、
普及し尽くして、定着したのだと思う。

それと同時に、一般ユーザにとってのPC他は、
そのプラットフォームを
徐々に、ウィンドウズのOS自体から、
ネット接続の土台へと移動させはじめた。

ほぼ実用レベルのインターネットの速度も確保され、
その接続の上での
様々なサービスが定番になっていった。

2000年代の前半には、
最新のハードウェアではなくても、
とりあえずプラットフォームの
インターネットに乗れるレベルのPCが
価値や意義を持ちはじめ、
それは、今日のスマホやタブレット等の
小型携帯端末へと発展して行った。

それと同時に今日では、
純粋なPCは、
10年前の製品であっても、
最新のウィンドウズを搭載して、
ネット接続のプラットフォームを確保できるようにさえなった。

それに対応して、
たとえ新品でなくても、
中古市場で様々な中古品が
それなりの選択理由を持つようにもなった。

「windows xp luna」の画像検索結果

すでに、ハードウェアの進歩は、
GUI上で操作する
一般的な実用レベルを追い越して久しく、
特に”Windows Xp” (NT 5.1)以降のウィンドウズでは、
性能の余った部分は、
GUIの装飾に振られているかのような感じさえある。
”Windows Xp” (NT 5.1)の"Luna"や、
”Windows Vista” (NT 6.0)の "Windows Aero" 等、
処理作業自体ではない装飾的な表示は、
ユーザーの使い勝手においては、
ほとんど変化のない新しいWindowsを
より新しく見せるために便利なのかもしれない。
そんななかには、
新登場の際の見栄え以外には、
さほど実用性と関わりがあるとは思えない
”Windows Vista” (NT 6.0)の「3Dフリップ」のように
廃止されて、消滅してしまったような機能さえある。


「3Dフリップ」の画像検索結果

広告・宣伝の段階では、
まさに”Windows Vista” (NT 6.0)
の視覚的な顔であったその機能は、
ハードウェアの性能を食う割には、
あまりにも実用性に乏しかったのだろう。

けれども、そういうものは、見事に、
21世紀になって、
過剰(不要)気味になってしまった
ハードウェアの進歩の実態を象徴している。

デフォルトで設定されていて、
限られたウィンドウのなかで
作業領域を狭くしてしまう「リボン」や、
やたら、いじくられるメニューのフローチャート等
(ある機能にたどり着くまでの階層や進路)..... 。

「リボン office」の画像検索結果

「windows 10 設定」の画像検索結果   「windows10 設定」の画像検索結果


もちろん、ユーザーには分からないような
専門家レベルの技術上の進歩はあるのだろうが、
それ以外の部分では、
すでに、安易に旧式のものをいじくり回すことで、
新しさが演出されているような
奇妙なことになってしまっているようにも思う。

そして、
”Windows 10” (NT 10..0)の普及に至っては、
セキュリティ云々で旧製品のユーザを脅迫(?)したり、
無料配布にして、ネット越しで半強制しないと、
ユーザーが新規のウィンドウズに移行しないような
状況になっているのだと思う。

ただ、「サポート切れ」というコンセプトは、
ユーザーのウィンドウズ更新には、
一定の説得力を持っているようだ。
逆に「使い続けると危険」という脅迫観念だけが、
唯一無二の更新の理由になるようだ。

PCがらみで、
使用可能なものがどんどん更新・廃棄されて行く方向性は、
ちょうど、
日本の競馬の「サラブレット4歳頂点説」にも似ているかのようだ。
それは、5歳以降の馬は下り坂ということにしておかないと、
次々と生産される新馬の価値がなくなってしまうかららしい。

そして、国際的な競走等になると、ときどき、
外国から来た10歳以上の馬が優勝したりするのは、
なんだか、変な感じだ。

PCも生産者側にとっては、
10年前のハードウェアで
最新のウィンドウズが動いてしまうのは、
ある意味、都合の悪いことだろう。(笑)

だから、
PCの性能については、ときどき、
「メールやWEB一覧に限れば」というような
変な条件付きの評価が出てくるのだと思う。

その妙な基準は、
業者から自称上級ユーザに至るまで、
様々な人たちに軽薄に丸コピーされているようだが、
実際のところ、
一般的な「デジタル玩具」としてのPCなんぞ、
より性能の低い小型の携帯端末でも可能な、
その程度の用途が、大部分だろうと思う。
それに大昔から存在する
ワープロや表計算の機能を加えれば、
おおむね、すべてを満たしてしまうことだろう。

すべてのユーザーが
多量のデータを処理しつつ
寸暇を惜しんで携帯PCで評論を書かなければならないような業務や
複雑で高度なPCの処理能力を必要とする
エキスパートというわけではないからだ。

あるいは、
業務でもないのに、
自分で撮影したビデオを切ったり貼ったり、
あるいはそれに音声を挿入したり、
挙げ句の果てには、行き先がなくて、
円盤に出力結果を焼き付けてばらまくというような、
いわゆる
「高性能を必要とする処理」がらみの
素人のPCお遊びを
すごい!などと思う時期は、
すでに前世紀までで終わってしまっている。

だから、「メールやWEB一覧に限れば」と
表現されていれば、
おおむね、一般の人が一般的な用途に
使えるシステムだと思っておいて間違いないだろう。

または、より大きな画面での
スマホやタブレット用途なのだと理解しておけば、
正確なところであろう。

売り手の方がひとつ当然の目安のように表現している、
「在宅のメイン機、外出の際のモバイルPC、
常にケータイするタブレットやスマホ..... 。」
なんてのは、
決して、ただの素人消費者に当てはまるニーズではないことは、
少し考えれば誰だって分かる。

すべてのユーザが
自宅の据え置きPCで自作の映画を編集し、
外出先で得たインスピレーションをモバイルPCに記憶し、
出資者とは、タブレットやスマホ越しで連絡を取り合う
創造力あふれたアーティストというわけではないのだと思う。

一般的な買い物や
【ネット空間】での落書きくらいなら、
どんなに性能の低いPCでも出来てしまうし、
多くの人にとっては、
(私のように)余暇のPCの用途自体は、
その程度のものだろう。

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### Past Logs2016-11-07