Lost and Not Found2017-08-16


心を失った感じだ。

いくつかの具体的な出来事は、
その喪失のきっかけや理由ではなくて、
むしろ、その喪失の結果のような感じだ。

もちろん、社会人をやめてはいないので、
自ら表面上の笑い、
あるいは、他人様の親切やご厚意は
いただいていないわけでもなんでもないが、
すでに、明らかに心は無表情だ。

騒がしい病理というよりも、
むしろ、気がつけばどっしりと
心は失われている。

ある意味、
生きながら、すでに死んでいるような感じだ。

一見俗っぽく、それでも、前向きに、
意外に生きることが嫌いではない人たちのように、
誰だって悩みくらいあるさ、というような台詞で
笑っていられる人たちは、
まだ、しっかり生きているはずだが、
こちらは、何かしら、
寝床の夢うつつのなか、
他人様の名前を借りて、
自らに問いかけ、話しかけてみるのだが、
すでに、そこには、
魂が物理のように無表情で動作も言葉もなく、
横たわっているかのようだ。

多くの人たちは、
たとえば、
「そりゃ、若いときのようには行かないさ。」
というような答や理屈を見つけて、
それでも、まんざらではないかのようだし、
まったく若さを猿まねして、
恥とも思わないくらい無神経な人たちさえあるが、
やり方や生き方としては、
私よりもはるかにはるかに健全にさえ見える。

ぽっくりと折れ曲がり、
そして、大げさに言うくらい分かりやすい痛みもなく、
ただ、心は失われ、
そこには、もちろん、涙も笑いもなく、
いつしか願ったような、
空の雲..... 。
田舎の山..... 。
とにかく、なにかしらモノになったような気がするし、
モノにとっては、
あたかも生き物であるかのような
言動が、しばしば、ひどく
無様で、しんどく、疲れて、
不自然で、不具合で、
どうしようもないときもあるのだ。

そして、気がつけば、
そんな状態が、むしろ、
自分で思うに、
若い頃よりも少し知恵者であり、
少し美徳的であるように思える。

結局、なんのことはない、
知恵だの、美徳だの、
石のように動かぬことを言うのだろうか?

救いは、そういうことについて、
結局、世の中がどーのこーのと
分かりやすく納得するようなタイプではないことだ。
そんなふうに簡単に納得できるタイプの人間なら、
今ごろ、きっと、もっと反社会的で、攻撃的になって、
なにかやらかしているかもしれない。
それは、私とは発露の方向性が違うけれども、
私がなんとなく理解できる
危険な人々のようだ。

おそらく、外に対しては、
相変わらず何事もないだろう。
そんなへんてこな私ではあるけれど、
きっと、
どこか、場所も時間もない空間で、
叫び、歌い、踊ることが
できているのかもしれない。